イランとはどんな国?歴史や文化、政治経済などをわかりやすく解説します♡
サラーム ジギャール!けんちゃんです!
ニュースでよく聞く「イラン」という国。
あなたはどんなイメージを持っていますか?
やっぱり基本ネガティブなニュースがほとんどなので悪いイメージが先行する国ですが、実際どんな国なのでしょうか?
「イラン」という国の概要をまとめましたので、ご覧ください!
イランの国概要
イランってどこ?
イランは中東や西アジアと呼ばれる地域にあり、日本からは飛行機で乗り継ぎ一回、大体15〜18時間ほどです。
東はアフガニスタンやパキスタンとの国境があり、バチバチに危ないので旅行者は近づけません。
西はイラクと接しており、こちらも国境付近は危ないエリアもあります。
でもご安心を!イランは観光地の治安は非常にいいです。
また、北西のトルコやアゼルバイジャンと面している国境は基本的に安全なので、旅行時はバスなどで国境越えすることも可能です♪
イランの地理的特徴
イランの地理的特徴としては、ざっくり言えば西側は山が多く、山間部の都市に人口が集中しており、東側が沙漠が多く、人口も比較的少なくなっています。
ですので、必然的に人気の旅行先も中央〜西側にかけて多く集まっています。
また、北側のカスピ海沿岸は豊富な自然に恵まれており、非常に素敵な緑の世界を見ることもできます。
一方の南部のホルムズ海峡に位置する島々は冬でも暖かいので、冬のイラン人の旅行先としても人気です♪
イランの気候的特徴
イランは中東の国の為「砂漠の国」のイメージが強いですが、全国的に日本と同様に四季があり、各季節を楽しめる気候となっています。
ただ、日本の4倍以上もある国土が東西南北に広がっている為、都市によって気候も非常に異なります。
例えば1月の平均気温を比較してみても、
・シーラーズ(中部):5.3℃
・バンダルアッバーズ(南部):18.1℃
と、非常に大きな差があるので、旅行者にとってはどの季節にもベストシーズンの都市がある、嬉しい国です♡
イランの人口は多い?少ない?
イランの人口は約8,300万人ほどで、世界で17番目に多いです。
なお、その内の1,400万人(16%)が首都テヘラン周辺に住んでおり、テヘランの人口密度はなんと東京以上!
また、日本と同じく少子化が進んでおり、人口の伸び率は年々低下しております。
例えば、女性一人あたりの子供の数で見ると、1985-1990は5.62人だったのに対し、2010-2015は1.91まで激減しています・・・!
イランの民族と言語は?
イランは「ペルシャ人の国」と見なされがちですが、民族的にペルシャ語を話すペルシャ人は約50%しかいません。
次に多いのが、アゼルバイジャン語を話すアゼリー人。イラン北西部に多く住んでおり、その割合はイランの人口の約25%を占めます。
その他も、クルド人やアラブ人など複数の民族からなる国家となっています。
ただ、基本的に全国の学校はペルシャ語で授業を行うので、現代の多くの方はペルシャ語を話せます。
イランの歴史をダイジェストで!
そんなイランですが、どの様な歴史の流れで今の「イラン・イスラーム共和国」という国になったのでしょうか?
「その国を知るのには歴史を知るのが一番!」
ということで、簡単にイランの歴史をまとめましたので、サクッと見ていきましょう!
1. 古代からイスラーム化 / 紀元前3000年〜650年頃
イランの歴史は古く、紀元前3000年前にはエラムという国がありましたが、ペルシャ人の国としては紀元前550年に生まれたアケネメス朝ペルシャが最初の国です。
いわゆるペルシャ帝国ですね!
ペルシャ帝国はその後約1000年間ほど拡大や縮小を続け、最盛期には西はエジプトから東はパキスタンまで領土を伸ばす、世界的な大国となりました。
しかし651年には当時のペルシャ帝国の王朝、サーサーン朝がアラブからやってきたイスラーム勢力に負け、イスラーム帝国の一部となりました。
そのタイミングで宗教もそれまでのゾロアスター教やマニ教にとって変わりイスラーム教が信仰される様になりました。
2. アラブ・トルコ・モンゴル勢力の台頭 / 650年頃〜1500年頃
イスラーム化以降、東西世界を繋ぐ位置という地理的に非常に重要な意味を持つイランは、様々な王朝が取って変わってイランを支配していきました。
世界にイスラームの教えを広げたアッバース朝や、トルコ系のイスラーム王朝であるセルジューク朝、チンギスハンの孫であるフレグさんが初代王になったモンゴル帝国の一部、イルハン朝などが有名所ですね!
この間、外国王朝による支配が多かったのですが「王朝は外国勢力でも、実際の政治を動かす官僚はイラン人」という時代も長かったため、ペルシャの文化はこの期間でも成長を続けました。
3. シーア派の雄・サファヴィー朝の建国 / 1501年〜
1501年にトルコ系ペルシャ人、イスマイール1世がイラン北西部で建国したサファヴィー朝は、遊牧民を戦闘力として活用しイラン全土に領土を広げます。
その中でサファヴィー朝は、現在でもイランの国教とされているイスラム教シーア派・十二イマーム派をイラン全国に浸透されると、政治・文化・思想的にも他国とは異なるアイデンティティーが国民の中で芽生え始め、ペルシャ人としての民族意識も高くなってきます。
また、サファヴィー朝の3代目キング、アッバース1世さんは1597年にイスファハーンに遷都し、今や1番のイランの観光名所となっているイマーム広場を建設したことで有名ですね♪
その後サファヴィー朝は順調に成長しますが、1600年代後半からグダグダになり1722年には滅亡しちゃいます。
それによりイランは様々な権力争いが勃発しますが、なんだかんだで1779年、ガージャール朝がイランを治めることになりました。
4.苦難の時代、ガジャール朝時代 / 1796年〜
1796年から始まったガジャール朝の時代は、まさに受難の時代。
まるで開国直後の日本の様です。
というのも、この頃ヨーロッパ諸国の覇権争いが激しく、イランにもその矛先が向けられます。
結果、ロシアやイギリスなどの複数の国を不平等条約を結ばされ、国内利権が大量に外国へ流出します。
ガージャール朝政府の改革も全くと言っていいほど上手くいかず、傲慢な国王に我慢しきれなくなった国民が発起し、1906年からイラン立憲革命が始まりますが、結局のところイギリスやロシアの介入によって失敗に終わります。
更に、1914年に第一次世界大戦が始まるとオスマン帝国が攻めてきたり、チフスの流行で多数の死者が出たり、イギリスのイランを保護国にしようとしたりとイラン情勢が本当グダグダになってきます・・・・
そんな中、イランの軍人、レザー・ハーンがクーデターを起こし、外国勢力を国内から一掃し、1926年に自身が王様(シャー)になり、パフラヴィー朝を立ち上げました!
5. パフラヴィー朝による大規模改革 / 1927年〜
1926年にキングになったレザー・シャーは、独裁的にガンガン改革を進めていきます。
改革のテーマは「近代化」と「脱イスラーム」。
それまでイランの中心となったイスラームの制度に取って代わる様に、資本主義的な西洋の思想に近い制度を導入したり、「イスラームの国」よりも「イラン人の国」というのを強調することで民族意識を向上させることで、国の発展を狙いました。
例えばこの頃は、今では法律で決められている女性のスカーフ着用制度も撤廃します。
しかし、1945年に勃発した第二次世界大戦でドイツ側についたイランは敗戦、また国力が弱まります。
そんな中、次はアメリカがイランに介入してきます。
レザー・シャーの息子である当時の王、モハンマド・レザー・シャーよりも、外国勢力の排除を狙うモサッデグ首相の国民的人気が高まる中、アメリカは上手くモハンマド・レザー・シャーを取り込みながらモサッデグ首相を失脚させることで、アメリカがイランで幅を利かせる様になります。
6. イスラーム革命による現政府の樹立 / 1979年!
アメリカ政府の援助の元、独裁的に近代化・脱イスラーム化(世俗化)が進むイランですが、1978年に事件が起こります。
当時のイスラム教シーア派のお偉いさん、ルッホラー・ホメイニーさんは国王批判で国外追放を受けており、パリにいました。
そんな中、ホメイニーさんを中傷する様なでっち上げ記事を巡ってイスラーム教徒中心に暴動が起こり、瞬く間にその暴動は全国に広がります。
その結果、翌年1979年4月にはホメイニーさんを中心とするイスラーム派が政権を奪還し「イラン・イスラーム共和国」を樹立させます。
これがいわゆる「イラン革命」です。
なお、同年11月にはモハンマド・レザーの亡命を受け入れたアメリカに対して、イランのイスラム法学校の学生らが激怒し、テヘランのアメリカ大使館を占領し、アメリカ人を人質として444日間も拘束される「イランアメリカ大使館人質事件」が発生します。
この事件以降今に至るまでイランとアメリカの国交は断絶されたままとなっており、まさにイランとアメリカの仲の悪さを象徴する事件となっています・・・!
イランの政治どんなシステム?
そんなこんなで成立した「イラン・イスラーム共和国」。
現在のトップは2代目最高指導者である、ハメネイさん。この人が三権(行政・司法・立法)の上に位置する為、必然的にイランで一番偉い人になります。
ご察しの通り、現在政治ではポピュラーな三権分立も、イランの前では事実上あってないようなものです。
その中で、政治の実務的機関・行政のトップはロウハニ大統領。
彼は穏健派なので比較的オープンに他国とも接するのですが、結局のところ肝心な部分はハメネイさんに最終決定権があります。
一応民主主義的な選挙制度もありますが、立候補者は一度イスラームのお偉いさん達で組織される「護憲評議会」という部門でスクリーニングにかけられるので、あまりにも政府に都合の悪い候補者はその時点で落とされちゃうので、民主主義が確立されているか、という問いには答え辛いのが現状です。
イラン軍事は?
イランは国際情勢上、軍事にも結構な力を入れており、男子は21ヶ月の徴兵制度が義務付けられています。
国軍(アーテシュ)としては陸軍・空軍・海軍・防空軍の4つがあり、おおよそ40万人くらいの兵力を持ってます。
・海軍:3.7万人
・空軍:1.8万人
・防空軍:1.5万人
基本的な立ち位置としては、「国家体制の維持や領域や利権、国民の安全を保護する」という名目の元活動しています。
革命防衛隊とは?
イランの軍関連でややこしいのが、上の国軍とは別に「革命防衛隊(セファー)」という軍隊があるところ。
国軍は昔からあった組織ですが、革命防衛隊は1979年のイラン革命時にホメイニーさんの指令で出来た軍隊です。
設立の背景としては「前の政権の軍隊なんて信じられるかいな!裏切るんちゃうん?てゆうことで自分らでも軍隊作ろーっと!」的な流れです。
現在の兵力はおおよそ12万人ほどですが、本気出すと1,000万人くらい兵力を集めれるそうです・・(人口の1/8ですかマジですか!?笑)
また、革命防衛隊も国軍と同じく陸軍、海軍、空軍を持っていますが、それに加えてコッズ部隊という組織も持っているのが特徴です。
聞いたことある方も多いと思いますが、2020年1月にアメリカに暗殺されたソレイマニーさんがトップを勤めてた部隊ですね!
コッズ部隊の役目は戦闘ではなく、諜報活動や他国の軍事組織の支援などをしている部隊とされており、例えばイスラエルと敵対するレバノンのヒズボッラーやパレスチナのハマスの支援や、敵国などの破壊工作や主要人物の殺害などもしてるのでは無いか、とも言われてたりします。
なお、革命防衛隊はアメリカにテロ組織として認定されてます。国の軍隊がテロ組織として認定されたって結構エグいですね。笑
更に革命防衛隊はイランの経済界でも力を持っており、非常に多くの大企業に繋がりを持っており、収益を半端ないそうです・・・!
この辺りの情報は公式な情報では無いので100%本当かどうかは言い切りにくいところではありますが、イランの現在の体制のなかで、この革命防衛隊がイラン国内で非常に大きい力を持っていることは間違いですね。
イランの核兵器問題とは?
イランの政治を語る上で欠かせないのが核兵器問題。
これが原因で現在世界中からバッシングを受け、経済制裁を受けています。
この問題を簡潔に説明すると、世界には1968年に出来た「核不拡散条約(NPT)」という条約があり、これは事実上、
「WW2に勝ったアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国以外は核兵器持っちゃダメよ!」
という条約で、世界で191ヵ国が参加してます。
ですが、様々なイランの怪しい行動から、アメリカはじめ複数の国が、
「イランも条約に参加してるくせに、ルール無視して核兵器作ろうとしてない?」
という疑いをかけられており、そのペナルティとして経済制裁をくらってます。
一応イランとしては「核開発はエネルギー使用の為にやってるけど、武器作ろうとは一切思ってません」と核兵器は作っていないというスタンスを貫いてはいます。
イランの国際関係
核問題などで、ニュースを見ていると世界の悪者みたいに感じるイランですが、具体的にどの国と仲がよく、どの国とは悪いのでしょうか?
仲が悪い国:アメリカ・イスラエル
そもそもイランの現体制は「アメリカの傀儡政府であるパフラヴィー政権はクソだ!」という事でクーデターを起こしているので、アメリカとの関係は最悪最低です。
日本も韓国や中国とは仲が悪いと言われてますが、それとは比べ物にならない位仲が悪いです。
仲の悪さを垣間見たい人は、駐日イラン大使館のTwitterをフォローすることをおすすめします。
「国の公式SNSでこんな言う!?」くらいディスっているので、見ててある意味面白いですよ。笑
まあ、今の体制が続く限り、アメリカと仲良くなることはないでしょう。
また、イスラエルともスーパー仲が悪いです。
この2国は、イランとの貿易なども原則禁止にしていますし、国交もありません。
あと、多くのアラブの国とも仲が悪く、その中でも特にサウジアラビアとの仲は最悪で、最近でもシリアやイエメンなどの内戦の一部は「イランとサウジの代理戦争だ!」なんてのも言われてました。
仲が良い国:中国・ロシア
仲の良い国は中国とロシア!
特にイランにとって石油輸出先No.1である中国は非常に仲がよく、中国人はノービザでイランに旅行に行けます。
なので、イランには中国人の旅行者が多いので、日本人が旅行すると「チーニー!(中国人!)」と声をかけられることが非常に多いです!笑
日本やヨーロッパの国とはどう?
ヨーロッパの国とはあまり仲よくもありませんが、アメリカほど仲悪くもありませんので、ヨーロッパからの旅行者の数も増加傾向にある様です。
ただ、イランの核開発に絡む経済制裁はEUとして行っている為、決して良い関係とは言えない状況が長年続いています。
一方の日本は、経済制裁などに関してはある程度アメリカやEUとは足並みを揃えてますが、国際的な場で日本がイランの批判をする様なことはほぼないことから、ヨーロッパより少しだけ良い関係が続いているかな、といったところです。
イランの経済はどんな感じ?
イランのGDPは2017年で約4,400億USドルで、世界28位です。
この数値、ピンとこないかもしれませんが、国土も人口規模も圧倒的にイランよりも小さい台湾よりも少ないんです。
国土面積や人口、工業技術レベルの割にGDPが低いのは、やはり経済制裁の影響も非常に大きいとみられます。
主な産業は、石油・天然ガス・農業・製造業(車・家電)などです。
やはりエネルギー系が強くなっていますが、現在は石油依存からの脱却を目指して様々な分野投資していたりもするので、経済制裁が解除されると爆発的な伸びが予想されるのもイラン経済の特徴のひとつかもしれません◎
イランの文化・芸術の特徴
政治や経済では様々な問題を抱えるイランですが、文化や芸術の面ではどの様な特徴があるのでしょうか?
芸術といえば、ペルシア文学
イランの代表的な文化と言えば、圧倒的に「詩」が有名です。
日本でいう俳句や短歌にの扱いに近い様な感じですが、日本のそれとは人気の規模が異なります。
中でも、
・フェルドウスィー
・ルーミー
・サァディー
は、ペルシャ4大詩人とも呼ばれ、現代でも圧倒的な人気を誇ります。
イランあるあるの一つで、彼らの名前を冠したホテルや交差点、ストリートの名前がどの都市でもあったりするので、複数都市を周遊する際は気をつけてください!笑
イランのテレビ事情
イランのテレビ事情は非常に特殊です。
まず、憲法で民間放送を禁止している為、国内で放送されるチャンネルは基本的に国営放送のみです。
国営放送は10チャンネル以上あり一応幅広い番組も提供はしていますが、情報の多様性はもちろん狭いでし、女性のキャスターなどはもちろんみんなスカーフを着用し、肌の露出も控えています。
しかし、実際のところ多くの家庭では、国外から発信されるチャンネルを衛星放送で見ています。
この衛星放送ですと、例えばBBCやCNNなどといった欧米のニュースチャンネルもペルシャ語で放送しており、普通に水着の女性とかも出てきます。
イランって国としてはルールなどが結構厳しいと思われがちなのですが、実際こうゆうところがめちゃくちゃ緩かったりします。笑
イランの音楽シーン
イランの音楽シーンもテレビと通ずる特徴があり、イラン国内でCDを販売するのであれば、政府の認可が必要です。
普通にエレクトロっぽい今時なCDなども流通はしてますが、政府を批判する様な物はもちろん、ちょっと過激なものやフシダラな音楽はまず発売出来ないです・・・!
しかし現実は、衛星放送などでいかにもパリピな感じのミュージックビデオも流れますし、政府の認可がおりない曲もネットでダウンロードして多くの方が聞いています。
ペルシャ語のポップスってイメージ沸きにくいと思うのですが、なんかこんな感じの独特なハネた四つ打ちのリズムが特徴的ですね!
イランのスポーツ
イランの一番の国技はレスリング。
イランではズールハーネという道場の様なところで筋トレするのが伝統的な文化としてあり、ムキムキの人が多いです。笑
その為(かどうかは分からないですが笑)レスリングが非常にポピュラーなスポーツです。
また、サッカーやバレーも盛んで、特に1990年代に活躍したアリ・ダイというサッカー選手がまさに国民的英雄!
あと意外なのですが、インドの国技として有名なカバディは、実質の世界大会である2018年のアジア競技大会では男女ともにイランが優勝してます♡
おわりに
いかがでしたでしょうか。
イランってやっぱりニュースで聞く限りですと、怖そうな危なそうな堅そうなイメージがありますが、実際現在の生活やカルチャーを見ると結構ゆるかったりするので、そのギャップなどの発見も面白いですよ♪